神事か芸能か

 昔、神楽は神事でした。神職が神事の中で行う神楽は特にそうでした。神楽が神職から住民へ引き継がれたくだりは、「安芸十二神祇神楽のあゆみ」にも述べたように、西暦1700年代だと紹介しました。

 もう一つ忘れてならないのが、明治3年ごろに、巷間伝わる「神職演舞禁止令」によって神職による神楽が途絶え、我々が舞っているような民間の神楽団による神楽が主流となりました。
神職演舞禁止令と一緒に、神懸り禁止令も併せて出されたと言われていますが、その真偽は定かではありません。歴史を辿ると神がかる神事や舞などが神社から消え、民間に移ったのは間違いなさそうです。現在の神楽で、神がかる舞を保持しているのは、筆者の知る限りでは、比婆荒神神楽と将軍舞です。

 おそらく、明治維新後、日本が国際社会の仲間入りを果たすために、神社からそういったものを、排除していったのではないかと考えます。

 前置きが長くなりましたが、神楽は今、大きな分かれ道にあるようです。神楽の普及と発展を目指して、共演大会をはじめ、あちこちへ出演して舞う神楽団と、主として地元の神社へのみ神楽を奉納する神楽団とにです。
 

 上河内神楽団は、隔年で地元の河内神社に神楽と花火を奉納することを続けてまいりました。そうなると、観客の篤志である「花」による実入りが少なくなった昨今、神楽団の存続が危ぶまれる状況にあります。
 

筆者が神楽を始めた半世紀以上前には、近郊の神社の夜頃(秋祭り前夜祭)に出演していた記憶があります。衣装を更新するためだと聞いたことがあります。神社以外の舞殿で舞うことを続けると、どうしても演出や舞の所作が派手になります。
 

 上河内神楽団は、神事としての神楽を奉納し続けながら神楽団も存続し承継するという、良い加減の運営をするため、ほどほどの塩梅で使い分けて参りたいと考えています。

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